かしもの・かりもの
私たちの身体は、神様から借りていると教えられます。
普段何気なく当たり前のように動かしている身体を借りものだと思えることは、なかなか無いかもしれません。
そんな意識すらしていないことの方が多いと思います。
でもそれは、当たり前のように自由に使えているからです。
今この記事をお読みいただいている方の中には、なんとなく「身体は自分のものではないのかもしれない」と感じて居られる方もいるかもしれません。おそらく、そう思える方は、何らかのきっかけがあったのではないでしょうか?例えば、大病を患われたとか。
私たちの身体は生まれた時から、現在まで同じ身体を使って生きています。自分で選んだわけでもありません。気が付けば、この身体で好きなように動いています。この身体の形状や機能も自分では決めてません。もし、私たちが現在使っている身体を自分が便利だという機能や形、また、配置などを決めれたとしたらどのように設計しますか?
そんなこと考えたこともないという方がほとんどかもしれません。
そうなんです。私たちは何も決めずに、この身体をいつの間にか自分のものとして動かしています。使っています。何もなければ、当たり前のように。
しかし、そうならない。自由に使えない時があります。
それは、病気や怪我をしたとき。(治るのを待たねばなりません)
また、老いると機能が低下し、自由に使うのが困難になります。(自由に使える時間に制限があると感じます)
そして、いずれ死を迎えます。(神様に身体をお返しする日がやって来ます)
私たちは、この世に生まれてくるときに、今ある身体を神様から借りて命を受け、それぞれの人生の中で様々な出来事に遭遇しながら生きています。
いつまでもこの身体を自由に好きなように使いたいと思っていても、病気になったり、怪我に遭遇したり、時間の経過とともに老い、いずれは死を迎えるわけです。神様にこの身体をお返しする日がいつかはやってきます。自ら命を絶つことを抜きにして、その時を自分で決めたり、選んだりすることはできないわけです。
つまり、いつでも、いつまでも、好きな時に好きなように、好きなだけ使いたいと思っていても、使えないのです。
なぜならこの身体は、神様から創っていただいたものを、現在、借りているだけなのですから。
それぞれに借りている身体を動かしている原動力は、私たち一人一人の心です。心だけは、自分のもので、自由に遣えるように神様が与えてくださいました。
自由に遣える心で、創り主、貸し主である神様の思いに沿って大切に使わせていただけば、 神様は、必ず自由に使える身体をいつまでも永く貸してくださいます。
もし、何か自分が苦労して作ったものを誰かに貸して、粗末に扱われたり、本来の目的ではない使い方をされていたらどう思いますか?早く返してほしくなると思いませんか?そして、そのような人には、たとえ、もっと良いものがあったとしても、貸したくなくなると思いませんか?
かりものは、貸主に感謝し、正しい使い方を心掛ける必要があると思います。
神様にかりている身体の正しい使い方とは、陽気ぐらしのために使うことです。
身体は神様からのかりものです。神様の喜ぶ使い方を心掛け、大切に永く使わせていただきたいものです。
文責・黒木陽助